みなさん、こんにちは。
本当の出産レポ(後編)を書かせていただきたいと思います。
前編を読まれてない方はこちら👇️
11:00 仮眠より起床
帰ってきてからほぼふて寝のような状態で仮眠をとって、起きてからは普通に生活しました。
ただ出続けている水っぽいおりものが気になることきになること。 動くたびにドバっ、ドバっと出るもんだから なんとなくお股に力を入れてできるだけ動かないようにソファに座って、趣味であるクロスステッチのをひたすらちくちくちくちく縫い続けていました。
先ほど産院に行った際に血圧が高すぎたため、 助産師さんより血圧計を買って測定するように指示を受けました。この日はちょうど旦那さんが横浜に出かける予定があったので ヨドバシで一緒に買ってきてもらうようにお願いしました。
ついでに今日は自宅で安静にしようと思っていたので崎陽軒のチャーハン弁当を夜ご飯に食べるために買ってきてもらうことも一緒にお願いしました。
14:00 友人と電話
お昼過ぎゆったりしていると、友人からテレビ電話。朝から騒いでたことを謝罪し、まだまだ産まれなさそうだよなんて冗談は言いながらたわいのない話をしました。
友人からお腹を見せてと言われたのでテレビ電話越しに見せたのですが、まさかこれが妊娠最後のお腹になるとは思ってもいなかったです。
電話を終え2時過ぎ、まだまだおりものが止まらなかったので、もしかしたら今日このまま出産になるのではないかと思い、朝思い残していたスイカを食べ、ある程度掃除をし、産院にいつでもいけるように化粧もしました。
(出産後写真を撮る予定だったので絶対に化粧していきたかったのです)
帰宅した旦那さんからお願いしていた血圧計受け取り、一度測ってみましたがやっぱり高血圧。測ったあとは忘れないように陣痛バッグに入れました。
14:30 お腹の張りを感じ始める
なんだか定期的にお腹の張りを感じだしたので陣痛アプリで測ってみることに。
5分おきに張りが来ているためアプリでは病院に連絡するようにと指示がありましたがまだ我慢できる痛みだったし、朝のこともあってまた返される気がしたのでもうちょっと様子を見てみることにしました。
15:30を過ぎるとだんだん感覚が伸びてきたので、やっぱり陣痛ではなかった様子。
その後も定期的に測りながらソファーに座って刺繍をしていました。お腹の張りの感覚は 空いていましたが、少しずつ生理痛のような 痛みが強くなっていくのを感じていました。
17:00 母から電話があり朝の様子などを話している時、痛くなってきていたおなかが少し喋るのも辛いぐらいになってきて、母には伝えはしませんでしたか早く切ろうと早口になっていました。後に母もなんだか様子がおかしいなとは思っていたと言われました。
17:30 痛みが強くなりいよいよ産院へ
母と電話を切った後、感覚を測ってみると7分間隔。産院からは5分間隔になったら連絡するように言われていたのでまだ連絡せず。
痛みはだいぶ強くなっていて、波のピークがくるとうずくまって耐えていました。ピークはだいたい1分から2分ぐらいあってすっと引いていく感じです。また真夏なのに寒気がすごくてブルブル震えていたので、掛布団にくるまっていました。
18:00 だいぶ痛くなっていたのでついに産院に連絡。産院からは時間帯的に夕食を出せないのでご飯を食べて来るように指示を受けましたが、まぁそんな余裕はない。楽しみにしていた崎陽軒のチャーハン弁当も全然食べられる気がしませんでした。
痛みの感覚も狭まってきて5分間隔になったので、ご飯も食べていなかったのですがまた産院へ電話。ご飯は絶対食べて来るようにと言われ、それを聞いていた旦那さんがあまりに私が苦しんでいたので「食べれるわけないだろ!」とキレていました。
すごい痛くなってきたのでこのまま家にいることの方が怖くなり、必死の思いでウイダーinゼリーを一本流し込み、産院に連絡してついに病院に行くことに。
19:00 タクシーを呼んで病院に向かう時、 寒気と吐き気があったので長袖の上着を着てビニール袋を片手にタクシーに乗り込みました。産院までの道のりは午前中とは全然違い本当に遠く感じました。
産院に着きましたが、タクシーから降りるのも一苦労。この時計測していませんでしたが感覚では5分間隔を切っていたように思います。
歩くことも困難になっていたのですが、中に入らないことには産めないよと助産師さんから言われ、必死の思いで病院の中に入りました。
19:30 産院到着
ここからの記憶がかなり曖昧なのですが、着いてすぐに産院で準備されたワンピース形のパジャマに着替え。
子宮口を調べてもらうとまだ2 CM。全然まだまだでした。
とにかく苦しいのでベッドに横になって数分後とに来る波に恐怖を覚えながら悶えていました。まだ2 CMしか開いてないのでいきんではダメと言われ、いきみ逃しをしないといけないのですが、このいきみ逃しがまあ難しく、どうやって逃したら一番楽か 毎回毎回研究しながら波を超えていきました。
波が来るたびに唸るように悲鳴を上げ、ピークを過ぎ落ち着いたタイミングで死んだように眠るをひたすら繰り返しました。我ながら一瞬で気を失うように寝れる技術はさすがだと思います。
寒気があったので、夏なのにクーラーが効いた部屋が無理でクーラーを切ってもらっていました。旦那さんはすごく暑かったと思います。これはかなり申し訳ないなと思っていました。
旦那さんにはグー(途中でテニスボールに変更)でお尻の穴の辺りを押してもらっていたのですが、押してもらう力が足りないので、私でベッドフレームを力いっぱい押して痛みを和らげていました。しかも波の間隔も短いので旦那さんも休む暇がなく、持ってきたご飯も食べずつきっきりで私の対応してくれていました。本当に助かったし、心強かったです。
へろへろになった頃に 今は何時でどれくらいの子宮口が開いているのか聞いてみると 22:30で子宮口は7 CMまで開いていました。
自分の体感よりもずいぶん長いことを耐えていたんだなっていうのと、子宮口が7 CM まで広がっていたことに安心しました。これで子宮口がまだ3センチとか言われたらもう絶望しかなかったです。あとちょっとだ頑張ろうという気持ちになって頑張ることができました。
23:00 いよいよ分娩台へ
23:00 ついに分娩室に行くことになりました。分娩室までは歩けそうになかったので車椅子に乗せてもらうことに。車椅子ってあんまり乗ったことなかったから、不思議な感覚でした。歩かなくて助かるー。歩けないから。
分娩の前にトイレに行くように促されました。
陣痛中もトイレに行くようには言われていたのですが、行く余裕は全くなかったし、もはやいきみ逃しが出来なくてお腹に力が入ってタイミングでドバドバ水は出ていました。 子宮口7センチ開いていた時には既に破水していると言われたので、そのドバドバ出ていた水が破水の水なのか、はたまた尿のかは不明でした。
トイレなんか行ったって何も出んやろと思いましたが、行かないと分娩台に上げてくれなさそうだったのでトイレに行きました。
波が来たら立ち上がるそうにないなと思いましたが、気合いで便座に座ると着替えたタイミングで敷いていたお産用の大きなナプキンに石っころみたいなうんち(汚くてすみません)が一つだけ落ちていました。
出産時にうんちが出てしまうとは聞いていましたが本当に出るんだと思って驚きました。そのうんちはもう絞り出されたかのようにぺちゃんこになっていたので、とりあえずそれはティッシュで拾って捨てて、トイレを済ませていざ分娩台へ。(世界仰天ニュースみたいにトイレで出産しないか心配だった)
分娩台に到着すると子宮口は完全に開いていたので、もういきんでいいよと言われました。
いきんでいいと言われればこっちのもん。波が来たタイミングで力いっぱいいきみました。このいきむ感覚は便秘の時の踏ん張りと似ています。おなかの中の感覚もかなり固い便秘が少しずつ出てくる感じです。
赤ちゃんが少しずつ降りてくる感覚もはっきりわかり、入り口まで来た時には痛みが変わりました。明らかに入り口がパッチンパッチンになって切れそうっていう感覚。これを越えればぶりんって出るんだろうなというのがわかりました。
正直ここまで来たら切れることへの恐怖心よりも早く出そうという気持ちの方が強かったので、力いっぱいいきみました。 子宮口全開からわずか19分、 ついに我が子がぶりんと出てきました。
23:39 我が子爆誕
出てきた瞬間、感極まって泣くかと思っていましたが意外と泣きませんでした。どちらかと言うと出てきた終わったという気持ち。そしてこんなにしっかりした赤ちゃんがおなかの中にいたんだと驚いて可愛くて愛おしくて たまらなくなりました。
旦那さんは泣いており、わたしと息子くんに対して「二人ともよく頑張ったね」と褒めてくれました。
息子くんはと言うと出てきてすぐに小さな声で泣きました。思ってたより小さく泣きました。 小さすぎて大丈夫かと思うくらい。 ふにゃーという感じで泣いて、その後はカンガルーケアを希望していたので私の胸のところでそれはそれは静かにしていました。赤ちゃんってこんなに泣かないんだというくらいに。
へその緒は、当初旦那さんは怖くて切れないと言っていましたが 助産師さんに「切ってみましょう」といわれ切ってくれました。どんな感じなのか聞いたところ、焼肉のホルモンを切ってるような感覚でぐにぐにしているとのことでした。へその緒には神経は通っていないのでわたしも息子くんも全く痛くないです。
おなかの中に残っていた胎盤は少しくっついていたようなので力で剥ぎ取られました。 出産時痛いということを言わないと意識していたので陣痛の時も1回か2回だけしか言わなかったんですが、終わってしまうとその気合もなくなってしまい痛い痛いと言いながら剥ぎ取ってもらえました。
バースプランで胎盤が見たいとい伝えていたので見せてもらうことができました。 ミニスナックゴールドぐらいの 大きさでまさにレバーのような ザ内蔵という見た目の袋です。 へその緒がついていた場所やおなかの中では快適に過ごせていた様子と教えてくださいました。YouTubeで胎盤は血液の塊なのでこれを食べて血液を利用する方がいると聞いてかなり驚いたのですが、本物を見ていよいよ食べる気がしないなと私は思いました。
見せてもらった後は処分してもらって大丈夫ですと伝えました。
子宮口については上手にお産ができたようで、外側の傷は 一箇所のみ 一針、中の傷が少しとかなり少ない傷ですみました。
陣痛が痛すぎるので縫うのは痛くないよといろんな人に聞いていましたが、しっかり嘘でした。
確かに陣痛よりは痛くありませんが、普通に痛かったです。なのでずっと痛いと言ってました。
私のケアをしている間に息子くんは身長や体重を測ってもらったり、おっぱいを吸ってくれたりしていました。
全て終わると助産師さん達は出産の記録等のため席を外され、面会が許されるギリギリまで旦那さんと過ごし、戻ってきた助産師さんに息子くんの誕生した時間や身長・体重・胎盤の大きさなどを記録したホワイトボードを見せてもらい 終了となりました。
はじめまして、あかちゃん
母子同室のため3人で部屋に戻り、旦那さんは帰る支度をして夜中2時過ぎタクシーで帰っていきました。早速二人きりとなったわたしは少し息子君は眺めた後どっと疲れがきたので支度をしてすぐに睡眠取りました。長い長い一日がやっと終わりました。
分娩時間6時間と 安産で母子ともに健康で問題なく産むことができました。
以上これがわたしの出産レポとなります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。